オーストラリア

21歳がオーストラリアにワーホリで来て起業して全財産失って絶望した話

留学知恵袋の記事のネタどうしよう…

サイト運営を始めて約3か月。

記事数は100記事を達成しました。

もう少しワーキングホリデーや留学生の体験談や、ナマの声が分かる記事を増やしたいなあ。

よくある実体験もいいけど、ちょっと過激な体験をしている人とか、どこかにいないかな…?

そんな感じでいつものようにネタを探していたところ…

もしかして自分がオーストラリアにワーホリで来て起業して全財産失った話ってネタになるんじゃね?

そういえば、自分のネタを記事にしたことはなく、もともと自分のことを発信するのがあまり好きではないため、SNSでもなんとなくで活動していました。

でもワーキングホリデーで来て23歳で起業して全財産失って超タフになる。

結構記事になりそうだな…笑

海外起業で失敗してどん底まで落ちて這い上がるとめちゃめちゃタフになれます。

ブログ記事90記事(約27万文字)を2か月で本業と平行して執筆する精神力が身に着く。

ということで、この記事では畑 徳真という人物がオーストラリアで起業して大失敗する話を紹介していきます。

書いていたら思わぬ長文になってしまったので興味のある人だけぜひ…

  • ワーキングホリデーで来て起業できる
  • 海外で起業するとタフになれる

畑 徳真|プロフィール
Twitter
1992年生まれ。静岡出身。21歳でオーストラリア→メディア会社勤務→オーストラリアで起業→起業失敗→再びオーストラリアで起業→OISHI JAPAN現業。

今はオーストラリアでのんびりと零細企業を経営しています。オーストラリア市場向けのマーケティング支援を主に行っています。

2018年5月から留学知恵袋という当ブログを始めました。これからオーストラリアへ行きたい人にとって有益な情報を日々更新しています。

詳しいプロフィールはこちら▼▼
https://note.mu/tokumahata/n/n4f953a7a1883

21歳でオーストラリアへワーキングホリデーで渡豪

オーストラリアで起業するために2014年2月にオーストラリアへ飛び立ちました。

なんで起業したいのか…などは長くなるのでこの記事では省きます。

当時、ミャンマーかインドネシアも視野に入れていたのですが、ビザの問題や初海外の恐怖、人口の少なさからオーストラリアを選びました。(つまり特に大きな意味はないということですね…)

当初は、オーストラリア版SUMOを作ろうと考えて来ました。

オーストラリアでシェアハウス探しはGumtreeというサイトが主流なのですが、当時のGumtreeはEbayに買収される前で本当に適当なデザインのWEBサイトでした。

しかし、着いてからはまず現地企業で働いてみて、生活感を掴もう。

着いて2日目からローカルのオフィスジョブへ履歴書を送りまくりました。

履歴書は辞書で調べた完璧な文法と、サムスンの賞をもらった、キヤノンの仕事をしていたなど、アピール文で飾られていたのでいくつか面接へこぎつけることができました。

しかし、当時の英語力はMaybeは日本語でたぶんだよね…くらいのレベルしかなく、当然面接は全滅。

英語ができなければ当然のことなんですが、面接などで失敗したことがなかった自分としてはかなりの衝撃と挫折でした。

英語力を身につけなければ。

そう思い見つけたのはインドネシア人経営の回転寿司屋さんの求人でした。

ここなら英語で寿司がメイクできる…!

I can make sushi! Because I’m from Japan!」という訳の分からない主張で面接をクリアし、明日から来いと言われたので前日にYouTubeで寿司の握りを見て、米を買ってきて練習して仕事の当日を迎えました。

しかし、当日の仕事はなんと巻き寿司でした。

当然巻けるわけもなく、なんとかコツを覚えながら1日を終えました。

しかも、全員インドネシア人ではなく、日本人も数名いて「寿司作れるんだってね。」とか言われたのがとても恥ずかしかったのを覚えています。

2ヶ月は寿司屋で働き、1日8時間以上英語の勉強も並行し、なんとか現在の英語レベルまで習得することができました笑

22歳で日系メディア会社へ就職

オーストラリア版SUMOを作るためにWEBデザイナーさんへカンプをお願いし、具体的な話も進んでいました。

しかし、当時の自分はまだよくわからないことが多く、一度同じようなサービスを運営している会社へ入ろうと決めました。

オーストラリアへ来て2か月が経ち、誕生日を迎え22歳になる頃、第2の就職活動が始まりました。

いつか「22歳英語力ゼロの日本人がオフィスジョブをゲットした方法」という記事でここのストーリーは紹介できたらと思いますが、無事日系メディア会社へお世話になることになりました

日系メディア会社の中では最大手で、ニュースの配信や仕事探しサイト、家探しサイトの運営も手掛けており、自分のやりたいことにぴったりでした。

自分はそこで広告営業として配属させて頂き、毎日かかってくる英語の電話にドキドキしながらがむしゃらに働いていました。

初めのころは何の役にも立ちませんでしたが、2か月くらいして、少しずつ役に立てるようになってきました。

それと同時にビジネスモデルへの理解も深まり、オーストラリア版SUMOはビジネス的に難しいことを悟りました。

他の事業を考えなければなりませんでした。

次亜塩素酸水との出会い

自分は専門学校を卒業して、新卒で入った医療機器会社を3か月で辞めていました。

そこで、医療施設や老人ホームなどで広く次亜塩素酸水という、ノロウイルスのニュースなどでスプレーをしているシーンで使われている液体の存在を知りました。

自分の先輩経営者である、亀さんという人がキエルキンという次亜塩素酸水を販売する会社を経営しており、オーストラリアで次亜塩素酸水を始められないかと考え始めました。

キエルキンのWEBサイトの写真

日本では生たまごはナマで食べられますが、オーストラリアではナマでは食べられません。

それは卵へ次亜塩素酸水で消毒処理をしているかいないかの違いで、オーストラリアで次亜塩素酸水は一般的に使用されていませんでした。

オーストラリアで知り合った先輩経営者の方々へ意見を伺っても好感触。

これならいける!と思い、2014年いっぱいでお世話になった日系メディア会社を退職し、2015年1月にGerm Eater Pty Ltdを設立しました

オーストラリアで初めての起業経験

Germ Eaterの名前の由来は

Germ:菌
Eater:捕食者

次亜塩素酸が殺菌する際に菌を包み込んで食べるような作用をするため、菌の捕食者という意味合いで、Germ Eaterと名付けました。

オーストラリアで起業するにあたり、行った準備を紹介していきます。

法人設立の手続き

オーストラリアではカンタンに会社を設立することができます。

しかし、法律も英語、会計の勉強も英語、何かトラブルが発生した際もすべて英語なので日本で会社を立ち上げるよりも精神的なストレスは半端ないです。

詳しい手続きの方法についてもいつか記事にしようと思います。

WEBサイトの立ち上げ

WEBサイトもスマホとのレスポンシブル対応、英語のSEOをガチガチに固めたサイトを約40万円外注で制作しました。

その時に出会ったエンジニアの岩崎さんと、このプロジェクトを通して意気投合し、後々のサービス開発に関わってきます。

Germ EaterのWEBサイトの写真

マスコットキャラクターの制作

当時の日本ではマスコットキャラクターブームでしたが、オーストラリアではマスコットキャラクターを使ったマーケティングはあまり見られませんでした。

そこで、イラストが上手な松本さんというメディア会社時代の先輩へお願いし、マスコットキャラクターのジャーミー君を制作頂きました。

そのジャーミー君のデザインを元に30万円かけて、人生で初めて着ぐるみを制作しました。扇風機のようなファンを背負い、空気圧で膨らむ中の人も暑くないという無駄に最新型を選びました笑

WEB動画CMの制作

マーケティングで新しいことをやりたい気持ちが強く、マスコットキャラクターのほかにWEB動画も制作しました。

日系メディア時代にお世話になった上司の方のご自宅をお借りして撮影させて頂きました。

肝心な動画のデータがどこにも残っていなかったのですが、動画も制作し、オンラインで広告を発信しました。

サイト公開から1ヶ月くらいで初めてのオーダーが来て、ものすごく嬉しかったことを覚えています。

工場・オフィス・機械の確保

マーケティング以外にも必要な準備はたくさんありました。

次亜塩素酸水を生成するにあたり、

  • 機械
  • 場所
  • オフィス

この3つが必要でした。

オーストラリアのラボ(化学製品などを取り扱っているところ)を手当たり次第に声をかけていき、ようやく次亜塩素酸水が生成できる機械を持っている会社を発見しました。

しかし、原液は手に入りましたが、薄めてボトルへ詰める機械と場所は自分で購入・手配しなければなりませんでした。

そんな中、知り合いの70歳でヤクザ顔の食品会社の社長が「工場の余っているスペースへ機械を置いてもいいし、オフィスにしてくれてもいい。料金は出世払いから好きに使え!」

ものすごいありがたい話を頂き、30名ほど働ける巨大オフィスと工場の一角を手に入れました。

新しいオフィスとジャーミー君の写真

これでガンガン生産して攻めれるぜ!そう思い、全財産を突っ込んで、機械の購入、オフィス機器の用意などに投資しました。

当時、人生で一番不運なくらい交通違反の切符を切られたり、不動産の関係で大きな出費があったりと、必要な出費で大きなトラブルがありましたが、なんとか生き延びました。

今思えば、この頃の不運が後の出来事の伏線だとはまだ誰も知りませんでした…。

起業して半年…初めて黒字転換

英語を仕事レベルで使えなかった自分は、完璧な英語の資料を作ってもらい、日本から来ているため、英語は話せないがスペシャリストであるという体裁で資料を使って営業しまくりました。

すると、アジア経営のスーパーでいくつか採用され、シドニーのノースエリアを中心に20店舗ほどで取り扱いをして頂くことが決まりました。

また、日豪プレスという現地日系メディアに取り上げて頂き、その効果で対日本人への売り上げも高まりました。

当時の記事はこちら▼▼
http://nichigopress.jp/live/workingholiday-diary/100843/

また、野菜の加工会社の野菜洗浄で採用して頂くことが決まりました。

これが会社的にはかなり大きく、当時社員1人である自分が食べていくにはなんとかなる売り上げを記録することができました。

最高で週$2000いかないくらいを記録したと思います。

鶏肉の加工工場でも話が進んでおり、希望が見えてきていたその矢先でした…

突然のおわり

工場とオフィスをお借りしている食品会社の業績があまりよくないことは薄々感じていました。

主要マネージャーが辞職するなど、不穏な空気が流れている中、事件は突然起きました。

その日は朝から営業でオフィスへ行かずに外で働いていると、食品会社のマネージャーから電話がありました。

「朝、社長から電話があって「会社倒産したから。あとよろしくな」って言われたんだよ!なんか大変だから今すぐ来れないか?」

車に飛び乗り、会社へ向かいます。

社長には一人息子がいて、次期社長として働いていました。

その息子と長年付き合っている彼女もマネージャーとして会社で働いていたのですが、彼女も何も知らない状況で「What happen!?」といったカオスな状況。

これは自分が会社に着いた後に聞いた話なんですが、

電話をくれたマネージャーと息子の彼女が社長からの電話の後、社長宅へ乗り付けたところ、犬がワンワン吠えている中、家はもぬけの殻だったそうです。

彼女はその場で泣き崩れ、ドラマみたいな状況に放心したという話を聞き、文字通り言葉にならない状況でした。

未納の税金がかなりあったようで、半沢直樹のように国税局が工場を差し押さえました。

自分が置いている機械などは無料で置かせていただいているため、自分のものである証明などがありません。

会社に必要な機械や投資したものなど全財産をすべて失いました。

夜逃げはドラマの中の話だと思っていましたが、現実でもあり得ることを身をもって経験しました。

ドラマでは倍返ししてましたが、現実で倍返しはなかなか難しいですね。

立ち直り

正直、起業という行為に疲れていました。

商品が供給できないことや会社を辞めることを取引先へ謝罪へ回ると、

「これだから新しい会社は信用できない」
「せっかく目をかけてやったのに」
「最近の若者はすぐやめる」

と罵倒されたり、呆れられたりの連続でした。

会社を清算し、何もなくなって、日本へ帰国して就職しようかという選択肢も浮かんでいました。

お金もあまりなく、毎日パンの生活を送る日々。

ゲーテの名言に「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない」という言葉がありますが、人生の味がした気がしました。

しかし、ここまでボコボコにされて、すべて失って、諦めきれない自分がいました。

ここで諦めたら一生実業家に戻れないかもしれない。

再度、トライすることを決めました。

当時の貯金は約3ヶ月ほどの生活費のみ。

ここで再挑戦するためには生活コストを最低限に抑えなければなりません。

家を引っ越し、シドニーで週$120ドル(家賃月4万)のオウンルームの家を奇跡的に見つけました。(オウンルームの相場は家賃月10万くらいなので破格)

その代わり、お湯が3分しか出ないシャワーで真冬を乗り越える、ネパール人たちとの共同生活が始まりました。

平日はフルコミットで働くが、生活費工面のために週末の夜だけ働ける都合の良いバイト先はないか探していたところ、先輩の経営者の方から「清掃の仕事があるよ?」と紹介して頂きました。

面接へ行くと…なんとキャバクラでした笑

ここから半年ほど、キャバクラのボーイとして働くことになりました。

ここでさせて頂いた経験は自分の人生で大きく役に立っています笑

オーナーのひろさんと自分の写真

再挑戦は動画事業

2015年の中頃、これから動画がくるかもしれないという世の中の空気を感じ、動画で何かできないか考えていました。

日本ではインバウンドがよく叫ばれていた時期でしたが、日本から世界へ発信している日本誘致のプロモーションに違和感を覚えていました。

日本の美味い寿司屋を紹介してもほとんどのオーストラリア人は興味がないし、大体のオーストラリア人は日本に興味がないのに、そこに多額の予算をかけて日本から広告を打っている。

しかし、日本製の冷蔵庫は壊れないからなんとなく使っていたり、日本に興味がないけれど、ジャパレスで寿司は食べるよ。というオージーは大勢いることに気が付きました。

日本に住む日本人が知りたいのはイタリアにある美味いパスタ屋ではなく、日本にある美味いパスタ屋を知りたいのと同じだ。

うまいパスタ屋で本場のパスタを食べて、パリの町並みを見るからより行ってみようと思うんだ。

日本にまだ興味がないけれど、将来訪日するかもしれないオーストラリア人。

彼らに向けて、シドニーの至るところにある日本文化を動画化したメディアができないか。

その身近な日本文化をきっかけにもっと日本へ興味を持つ人が増えるのではないか。

以前、Germ Eaterのサイトを制作頂いたWEBデザイン会社をやっている岩崎さんとチームを組み、動画事業ILOHAをやっていくことになりました。

ILOHAのサイト

日本の「いろはにほへと」が分かる、ALOHAと発音が近くオーストラリア人にとって抵抗がないことから「ILOHA」と名付けました。

もちろん動画のノウハウはないし、生活費の残りにも限りがありました。

最速立ち上げが求められ、まずは日本食レストランに無料で動画を撮影させて頂き、おすすめの一品を紹介する動画を揃えていきます。

フルスロットルでがむしゃらに動画を作り続け、2か月で約70店舗にご協力頂き、サイトとして形になりました。

動画に出演してくれたコスプレイヤーのセーラさん

岩崎さんのオフィスにお邪魔して作業させて頂きました。

OISHI JAPAN開始

こうして動画業を始めたわけですが、岩崎さんが家庭の事情(子どもがまだ小さいため、安定しなければならない)ため、自分ひとりで事業を継続していくことになりました。

Germ Eaterの失敗ですでにほとんどお金がなかった自分は、尊敬している経営者の先輩に出資して頂く形でOISHI JAPANという日本食に特化したマーケティング会社を立ち上げました。

そこから2年。なんとか会社を継続し、オーストラリアという地で生活しています。

こうして振り返ってみると本当にいろいろな人に助けられてここまで来たんだなと心から感じました。

この記事のポイントをまとめてみます。

  • オーストラリアで起業はワーキングホリデービザでもできる
  • 海外で起業するとタフになれる

ここまで長文を読んで頂きありがとうございました。

もし私、畑徳真に興味を持っていただいた方はTwitterをフォローして頂けると泣いて喜びます。

また、これからも失敗していくと思うので失敗のたびに記事を更新していけたらなと思います。

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